最近は広告もインパクトがないといけないから、犯罪防止だったり、SOS関係のポスターも凝ったものが増えているけど、やっぱド直球のものにはなかなか勝てないよね。
近づかねぇよ、別に。人を、死体があるから見に行こうみたいなスタンド・バイ・ミーみたいに言いやがって。
いやぁそれなりに全国見てきたと自負しておりましたが、その地その地で抱えているご当地事案ってあるものなんですね。
そんなこんなで今回向かったのは、
こちら奥尻町でございます。
この記事は、
連載『北海道も城も周囲から攻めるべし』の一部です。
前後の繋がりなどは、下記、目次からご覧下さい。
目次
0-〔導入〕目次と冒頭解説
1-〔北海道〕知内町
2-〔旅行記〕知内町~江差町~奥尻島
3-〔北海道〕奥尻町 ←今ココ
4-〔裁判所〕松前 函館家庭裁判所松前出張所/松前簡易裁判所
5-〔北海道〕松前町
6-〔北海道〕福島町
※今回の北海道撮影は6月に行ったものです。
9月6日に発生しました、北海道胆振東部地震で被害に遭われた方々に対し、心からお見舞いを申し上げるとともに、1日も早い復興を心より願っております。
奥尻に着いたのは夜で、その晩は北海道民の味方セイコーマートで夕食だけ買って即就寝。次の日は約半日ほど島巡りに費やすということで体力を回復させます。
朝起きて、準備運動替わりに宿のガキンチョと戯れて出発します。旅の宿大須田さん、人情味あふれるいいお宿でした。
まずはカントリーサインを見つけに行きたいのですが、ここで困ったことが。この奥尻島は離島であるのはもちろんですが、島内には奥尻町が1町あるだけなので、本来カントリーサインが置かれているような境がないのです。厳密に言えば、境は海の上ということになるのでしょう。
それは困ったなぁと、海との玄関口であるフェリーターミナルに向かってみると、
はい、普通にありました。昨日もフェリーターミナルは使用しましたが、暗くて周りを見る余裕がなかったので気が付きませんでした。
海の玄関口にはあったので、空の玄関口である奥尻空港はどうかなと思いましたが、残念ながら周辺にカントリーサインは見つかりませんでした。
この奥尻空港は函館空港との定期便として1日1往復の便があります。所要時間は30分程度のようです。
1日1便しかありませんが、8:30~17:00まで開いております。しかし、やはりというか中に人はほとんどいません。デッキにも出られますが、航空機もありゃしません。そのデッキでオッサンが寝てたんで驚きましたが、この飛行機は来ない広々とした滑走路を眺めながら寝れるというのは、なかなかの贅沢なのかもしれません。
話をカントリーサインに戻しまして、
場所はこちらになります。フェリーで来た人ならすぐ、飛行機で来た人は車を20分くらい走らせる必要があります。
では、ここから本格的な観光に。
まず、島がどんなものか知りたかったので、展望台に行ってみることにします。基本的に見るところは島の外周沿いにある感じですが、ここはちょっと中に入ります。後々気がつくのですが、島をぐるっと囲む道道39号線は端の方に行くとちょいちょいすれ違い不可の道とかあるんですが、これから向かう展望台は山を登っていくのに何故かずっと2車線の道路で快適でした。
球島山の展望台に到着です。最後の登りは階段です。島の探索通じて、ほとんど人とすれ違うことはなかったですが、ここには先客と帰り間際に別の方に出会ったので人気のスポットなのでしょう。
真ん中らへんで振り返ってみました。すでに十分な景色でしょ?もうちょっとだけ登ります。
いやぁすごい、360度建物なんてありゃしない。ただただ自然。曇っているのがやや残念だけど、自然に圧倒されるというのはまさにこのこと。
しばらく満喫したかったんだけど、それなりに高いところにあるのか、強風がすごくて…。カメラも気を抜いたら飛ばされるんじゃないかって感じだったので、充実もほどほどに離れてしまいましたけど、奥尻に来たら必ず来て欲しい場所です。
次のところに向かおうかとしたところ、
牛はいるわ、すれ違い不可の砂利道を急に通らされるわで、わちゃわちゃしていたのですが、目の前に表れたのが
海!圧倒的な存在感の海!
沖縄含めて、いろんな海を見てきているけど、こう緑と融合した自然感溢れる海ってなかなか見ることが無い気がする。いやぁ実にいいです。
そこから車を走らせること5分ほどでしょうか
歴史民俗資料展示室、稲穂ふれあい研修センターに到着しました。どんな場所かは知りませんが、地図上に名前があった場所はひたすら行っている感じです。
確かに民俗資料っぽいですが、やや南部とは北海道でその住居は死ぬぞとしか言いようがありません。さて、メインの建物はというと、
お休みでした。木曜と土曜日で、かつ5月~10月のみしかやっていないようです。後に知るんですが、北海道は11月になると施設の休業が相次ぎますので、旅行を計画する方はその辺りも是非ご考慮を。
そしてブログ更新が11月になったせいで、仮にこのブログを見ても次の春まで開かないという…。
お次はここからすぐの場所にあります。
奥尻島の最北端にあたります稲穂岬にあります賽の河原です。
石が積み上げられている様子から、そういえば昔話にそういう話あったよなと思っていたら、「賽の河原」というのがまさしくそれなんですね。あぁいう恐い昔話って今の子にも聞かせたりしているんですかね?
ちなみに賽の河原という言葉には「いくら続けても、あとからあとから崩される無駄な努力」という意味もあるそうです。物語が先か、この言葉が先かは知りませんが。
どうしてここにこんなものが建っているのだろうと疑問になるのは当然だと思いますが、
ここ奥尻というのは1993年7月12日にマグニチュード7.8という大きな地震の被害に遭ったとのことで、その慰霊碑が。多分ですけど、賽の河原もそれに関連して慰霊の意を込めてなのでしょう。
あとでその地震の資料館に行くので詳しくはそこで書きますが、島を巡ってみると本当に小さな島なんですよ。その島の近くでマグニチュード7.8なんて地震が起きたらと考えるのも恐ろしいですし、今の元気な島の皆さんを見て心より応援したくなります。
近くには売店があり、貝類やホヤが売っており、海近くで生きていることを実感させられます。さすがに海産物を買うわけにはいかんので、
この珍しいドリンクを買って、島巡りのお伴にすることにします。ちなみに、味はそんなに美味しくなかったです。
北端に来たのなら、あとはどんどん南下していくのみ。宿にした大須田さんの近くに、
不思議な立地にある赤い建物。奥尻町の指定文化財である宮津弁天宮があります。
神社の歴史はよくわからないので下手に触れませんが、1800年代からあり島内最古の神社祭祀の場所であるようです。
手すりがついているので階段が急なのは構わないですが、草が完全に階段側まで来ていて、あまり人が通っていないのは容易に想像がつきます。
漁船は近くにあるので、全く人がいない場所という訳ではないのでしょう。
いったん下ってまた登ります。段数的にはまぁまぁしんどい程度ですが、昔はここを神輿を担いでいたらしい。さすがにこの狭さ、急さでそれは無理だ。神輿なんてただでさえ、血の気が多いのが後ろから押し込んで遅いだなんだやるんだから先導する人は大変だっただろうな。
僕は後ろからプレッシャーをかけてくる人もいないので難なく到着。綺麗な赤ですね。鳥居も赤いのって多い気がしますけど、それって何故なんですかね?青はないもんね。まぁそうこう言ってるうちにググって答えはわかったので、皆さんも気になる是非に。
この宮津弁天宮に行ったというブログをいくつか見かけたので、好きな人は好きなんでしょうね。
さらに南下していくと、スタート地点のフェリーターミナルに戻ってきます。だいたい島の北部3分の1を見終えた感じでしょうか。まだ3分の1かよとお思いかもしれませんが、まぁ南部の見所はほどほどですんで。
改めてフェリーターミナルにあるカントリーサインを見てみると、町の名所を地図のように表してくれているのがわかります。左上が賽の河原、右上が今行った宮津弁天宮ですね。これから右下の輪っかみたいなところに向かいます。
ちなみに、このカントリーサインの隣には、
暴力を容認しろというつもりはありませんが、そのために追い出せ、締め出せというのもなかなか力づくな感じがして少し笑ってしまいました。
そこから数分下ったところに、
お目当ての鍋釣岩に到着です。高さは19.5mほどで自然に形成されたものだそうです。夜間はライトアップされるそうで、それは知らんかった…。
穴は自然に開いたんでしょうけど、周りには他の岩群があるわけではないので、すごく異様な感じです。
このあたりは妙に鳥が多く飛んでいましたね。この鍋釣岩も鳥の休憩スポットとして活用されているのでしょう。
自然のすごさとミステリアスな感じもあり、やはり奥尻にお越しの際は見てもらいたいスポットですな。
お次は野球が好きな方には、まさかこんなところで?と意外なスポットに向かいます。南下しつつ、少し中に入りまして、
ファミリーパークというところにやってきました。その名の通り、家族連れの方がたくさんいらっしゃいます。ここにいたのか島の住人よ。
そこそこの広場があったり、テニスコートがあったりと恐らく島では貴重な運動施設なのでしょう。
奥へ進むとうにまる公園というのと、謎のモニュメントがあります。わかったこれ、ドラマとかで悪い奴が最後、ここで反省していない弁を述べた後、支柱が腐ったこのモニュメントで体を貫かれるやつだろ?
その真偽は定かではありませんが、その他にも
タイムカプセルが埋められていた場所がありました。1989年に埋められて、2001年と2009年に指定された方に届けられているようです。そういえば、俺、小学生のときに授業でタイムカプセル埋めた気がするけど、あれどうなったのかな?
って、それらを見に来たんじゃありません。野球です野球。うにまる広場から、ちょっとだけ登ったところに
佐藤義則野球展示室が建っています。佐藤義則は、ここ奥尻出身なんだそうです。
なに?佐藤義則を知らないだ?では、簡単に。
1954年生まれの佐藤義則は大学を経て1977年に阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)に入団。プロ野球人生の21年を全て阪急に捧げ、新人王、最優秀防御率、最多奪三振2回、オールスター出場7回、昭和最後の20勝をあげ最多勝、NPBで史上初となる40歳以上でのノーヒットノーランを達成したすごい人なんです。
引退して20年近く経ちますが、毎年どこかの球団でコーチを務めダルビッシュ、田中将大などを育て、4球団で優勝を経験している方なんです。
そんな佐藤義則の展示室へLet’s Go!!
まぁ閉館中なのは知っていたんだけどね…。恐らくここも冬季休業するタイプの場所だと思うんですけど、張り紙の通り今年は開館しなかったみたい。来年以降、どうなるかは町役場にお尋ねを。
記念館は見れなかったけど、振り返ってみるとなかなかに素晴らしい景色が。人がたくさんは来ないのは仕方ないとしても、この景色を見ないのはもったいないですよ。
お腹が空きました。うにまるモニュメントがあったように、この奥尻はうにが名物の一つ。
さっき紹介し忘れたけど、宮津弁天宮への階段の途中にもウニが落っこってました。渋谷のハロウィン終わりはゴミが散乱しますが、奥尻のハロウィン終わりはニの殻が散乱します。
宿泊した宿も夕飯に間に合う時間だったらウニを食べられたらしいんだけど、フェリーの時間的に無理だったし、朝食にもない。朝食からウニが出たらすごいですが。
なのでお昼はお寿司屋さんに行こうと決めていたのです。少しわかりにくい道を進んで進んで、到着したお寿司屋さんは、
まさかのここもお休み。近所の人に聞いたら、「なんか昨日、大慌てで出て行ったきりなのよねぇ」とのこと。夜逃げかな?
その近所の方に代わりにと教えてもらったのがこちらのお店「お食事処 潮騒」さんでございます。近所の方もよく使うお店なのだとか。観光地価格は御免だ、地元の人が日常的に使うお店にこそ美味しいものが控えているに違いないと入ったこちらで頼んだのが、こちら。
イカの刺身定食。ウニは置いていなかった…。 なんなら、イカは朝に食べたよ…。
そして周りの方が食べているのは、トンカツやらラーメンやら。そりゃそうだよね、いくら海に囲まれているからって、いやむしろそういう環境だからこそわざわざお店で海産物なんて食わんのだろうな。住民の方がよく使うってのも、他に店がないからだろうし。
と、ややトーンダウンしていたのですが、
このイカが美味しかったのです!
というか定食が全体的に美味しかった。イカのお皿ももっとアップにすればよかったのですが、この値段ではありえないほどの大盛りでしたし、無駄に甘すぎずでご飯のおかずにぴったり。なんとも家庭的な定食でしたが、非常に満足させていただきました。これは助かった、財布的にも。
この食堂付近が、町として一番栄えているっぽいから、探索してみるのもお薦めです。
お次は食堂からすぐのところにあるこちらです。
奥尻島津波館。入場は一般の方で500円とあったので、正直どうしようかと思いましたが、皆さん奥尻に来られたら必ずここは来てください。
日本に住んでいる以上、どうしても地震の被災というものを意識していかなければなりません。大阪府北部を震源とする地震が起き、まだ幼い小学生が犠牲となったのも今年の話です。同じ北海道では胆振地区の大地震に対する復興も現在進行形で行われています。
私は度々書いていますが、裁判にしても、こういった地震の被害の跡など出来るだけ自分の目で見て欲しいと思っています。それは、実際に起きたものなのだと感じてほしいからです。
ちょっとしたことで、すぐ加害者にも被害者にもなりえてしまう社会において、実際にその一線を超えてしまった人を見て自分はどう感じるでしょうか、子どもに何を伝えるでしょうか。同じ日本人として地震被害に遭って苦しんでいる方がいる、またはそんなのを微塵も感じさせないような復興を成し遂げた町を見ると、どう感じるでしょうか。これらは間違いなく、あなたの想像を超えてきます。
丁寧な仕事をしますな。正直、時間も迫っていたんですけど、思わず歩みもゆっくりになってしまいます。もっと、いたいくらい。
最後は僕しかいないシアターで動画を鑑賞。
地震発生は1993年7月12日午後10時17分12秒。マグニチュードは7.8で推定震度は6、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震度が推定なのは当時の奥尻島に地震計が設置されていなかったため。
震源域が島のすぐ近くであったため、地震発生から数分で奥尻島に津波が到達。約1時間後には能登半島、約3時間後には九州北部へも到達している。津波による死者・行方不明者は島の人口の4%にあたる198人。この津波館のある南端は、島を回り込んだ波や北海道本土から反射した波など複数方向からの津波の襲来を受け、事実上壊滅状態になったとのこと。
奥尻では1983年に秋田県近くで発生した日本海中部地震でも津波被害を受けているため、この地震が発生したあとも比較的迅速な対応が取られていたとされている。しかしながら、震源地があまりに近すぎたため、防ぎきれなかった被害も発生してしまった。一方で、この地震を受け、気象庁やNHKでは津波情報の予報文などが変更され、それによる効果などもその後認められている。
津波館の外には慰霊碑などが置かれた広場があります。天皇皇后両陛下がお越しになられたときの様子なども記されています。
慰霊碑から見た広場。自然の良さを感じつつ、表裏一体の現実を考えさせられる濃厚な時間でした。
やっぱ時間相当食っちゃったね。これから島の西側に行くのですが、ここからかなり駆け足でした。
あるのは荒々しかったり、珍しい形の岩ばかり。正直、そんな興味はありません。どうせ珍しいなら、男○器に似てるか、乳房杉みたいなものにしてほしいです。それならキャッキャッ言います。
途中、岩の近くまで行こうと階段を下っていたら手すりが壊れていて落っこちそうになって、一人で心臓ドキドキしていたのは今だから書けること。冷静に、かつやや怒りを込めて観光案内所の方に教えて差し上げました。
そしてようやく到達、カントリーサイン名所四天王の一角をなしていた、
北追岬公園に到着。そして、カントリーサインにもなっている名所がこちら。
なんじゃ、こりゃ。思いが通じたのか、男○器に見えなくもない?(ごめんなさい)
よくわからないのですが、この公園にある彫刻は世界的な彫刻家である流政之さんという方によって制作されたものだそうです。当然ながら存じない方だったのですが、有名な方というのは間違いないようで、Wikipediaにも相当数の作品が掲載されていました。残念ながら今年の7月に95歳という立派な生涯を終えられたそうです。
この北追岬公園と道路を挟んだところには、奥尻ワイナリーというのがあったのですが、車に乗って酒も飲めないのにワイナリーに行っても仕方ないとスルー。実際は帰りのフェリーの時間が微妙だったので、法定速度で猛ダッシュで島半分を進んでいました。
しかし、最後の最後に気になるものを発見して緊急停車。
復興の森とのこと。どんな場所なのでしょう。
ここまで人の気配がない緑ってのもなかなか経験できないですよ。時間がなかったんで早々に引き上げましたが、古い喩えでいうとスーファミ版のマリオの迷いの森、ドラマでいうとキムタクが出ていた「眠れる森」を思い出させる何かがありました。出来れば4人くらいで行きたいですな。そうでないと、なにかあっても相当時間気づかれなそう。
そんな訳でフェリーの時間にも間に合い、半日強の島巡りは終了しました。ウニを食べることができなかったのは、本当に悔しくはあるんだけど、余りある自然を堪能できたということで良しとしましょうか。
そんな訳で、完成した一枚画はこちらになります。
「離島の自然、詰め込みました 奥尻町」
今後の北海道の自然にたくさん触れる機会はあるでしょうけど、この奥尻のことは忘れずにいたいよ。
撮影素材
・背景-球島山の展望台
・素材1-カントリーサイン
・素材2-賽の河原
・素材3-宮津弁天宮
・素材4-鍋釣岩
・素材5-北追岬公園のモニュメント
行きと同じ江差港に着いたころには夕方でこの日はもう移動するだけ。
翌日は午前だけで、2町と裁判所を1軒回ります。自分で言うのもだけど、この短い時間でよくやったと思う撮影の成果を次回お楽しみください。
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